
2011年10月5日、米Apple社のCEO・スティーブ・ジョブズが亡くなった。56歳だった。
21歳でガレージから起業して35年後にApple社を世界最大のIT企業に成長させた。その間、一貫してパーソナル・コンピューターに関わり、彼が生み出した製品は次々に世界を変えていった。AppleII、Lisa、Macintosh、iMac、MacBook、iPod、iPhone、iPad。その登場はいつも私たちを驚かせてくれた。
10月19日付「ニューズウィーク日本版」は彼の写真を表紙に掲げて「アメリカの天才」とタイトルを付け、2週にわたってApple社の歴史とスティーブ・ジョブズの業績を振り返って賞賛し、哀悼の意を表した。確かに伝説の名機「AppleII」を世に送り出すには天才を必要とした。しかしジョブズはプログラムの天才ではなかった。ハードウエアのエンジニアでもなかった。
プログラムの天才はほかにいた。彼と一緒にApple社を創設したもう一人のスティーブ、スティーブ・ウォズニアックだ。愛称ウォズはたった一人で基盤設計からOSまですべてを創造して、世界最初の本格的なパソコンを作り上げた。ICチップを効率的につなぎ、信じられないほど洗練されたプログラムを書き上げて、「ウォズの魔法使い」とも呼ばれた。
ではジョブズは何をしたのか?
彼は夢を見る天才だった。夢では失礼かもしれない。他人には夢にしか思えない未来の物語でも、彼には明確なビジョン(未来像)だった。彼はウォズが生み出した新しい電子回路が世界に何をもたらすのかを明確に理解していた。ウォズ自身より遥かに深くその仕事の意味を理解していた。彼は製品化するために必要な人材を集め、資金を集め、製品の素晴らしさを宣伝して時代を切り開いていった。AppleIIは600万台売れ、世界は一変した。大型ホストコンピューターで世界を牛耳ってきたIBMなど巨大企業の時代の崩壊を告げる出来事だった。
彼は天才的エバンジェリストだった。
英語で「evangelist(エバンジェリスト)」とは宗教の福音伝道師のことを指す。Apple社ではApple製品の熱心な信奉者の中から幾人かが選ばれて、半ば仕事としてApple製品の宣伝活動を展開し、エバンジェリストと呼ばれていた。Apple教の最高の信奉者はジョブズ自身だった。彼は新技術を理解しながら、技術者だったことは一度もなく、大衆が次に何を望むかを理解しながら、一度も大衆的だったことはないという不思議な人物だった。
まだだれも見たことのない世界を想像し、その素晴らしさを確信し、それを人々に伝え、世界に新しい一歩を踏み出させる人。アーツカウンシルも夢を見る天才でありたいと思う。

わたしは芝居をやっている者だが、上演後、だれかれに「どうだった?」と訊いたことがない。本人の前だ、訊けば褒めるに決まっているし、もし苦情があったらこちらとしても反論したくなる。そんなことで議論するのはゴメンだ。言い訳と受け取られるやも知れぬ。そうなったら醜態だ。
だから本来ならアンケートなんてものも取りたくないのだが、スタッフ、キャストの強い要望でシブシブ実施している。まあ制作サイドでは、次回の案内ハガキを郵送するためという大義名分があるから、わたしとしてもムゲにできない。
まあ、だいたいからしてあんなものはどうでもいいのだ。
作品の良し悪しも至らぬところも、わたし自身がいちばんよく知っている。もちろん褒められてうれしくないわけはないが、「内容が暗い」だの「人が死にすぎる」なんてのがあると(ま、うちはそういうのが多いのだが)、バカヤロー、そんなに明るくて人畜無害のものが好きなら、テレビのバラエティでも見てやがれといいたくなる。
ましてや「作者の死生観が如実に表現されている」だとか「この群像劇は日本という国家の暗喩である」なんて、こざかしい「評論(らしきもの)」を長々と書かれると、ケッ、となる。
なるほど、うちの芝居は基本エンターテイメントだが、わたし自身の秘した目論見もないわけではない。そこを読み解かれると「ううむ、こやつデキるな」となるが、たいていは見当違いのお粗末な評論もどきだ。こういう手合いにはウンザリする。
ひとつには若かりし日、大島渚やゴダールの映画を観て小理屈をコネていた自分自身の分身を見るような気がするからだ。もちろん当時のわたしはこいつらよりもはるかに優れた評者だったけどな。
もっとも、気持ちのいいアンケートというのもあるにはある。「元気が出た」「わたしも明日からガンバリます」というのがそれだ。どんな悲劇であろうと、暗い作品であろうと、芝居の第一の効用はカタルシス、精神の浄化にある。
わたしにしたところで、芝居に限らず、いいものを見たあとは気持ちが高揚して「オレもやるぞ」という気になる。芝居もまた、そういう具体的な衝動を喚起できてナンボの世界なのだ。
高いチケットだ。ならばお客さまの元気に少しでもお役に立てれば、代金を支払ったカイもあろうというもの。
さて、モロ宣伝ですが、11月の25日より3日間、サンポートの第1小ホールで新作「山の王」を上演いたします。マチネ(昼公演)を入れて5回の公演です。ぜひともご来場の上、アンケートには「元気になった」とお書きください。わたしが喜びます。
(劇団銀河鉄道主宰)
作家の村上春樹さんが服飾専門誌に「讃岐・超ディープうどん紀行」を執筆して20年、今やうどんと言えば讃岐というのは日本全国共通の常識だ。香川県内のうどんブームをリードしたのは麺通団率いる田尾和俊さんだが、全国版ブームは村上さんの紀行文がきっかけかもしれない。
さすがノーベル文学賞候補、触れるものがみんなゴールドとまでは言わないが、その目線の確かさには驚く。あの時代に書かれたうどんエッセイとしては他を寄せ付けない超一級品だ。アメリカのディープサウス(深南部)で食べるナマズフライの驚くべき味わい、イタリアに住んでワイナリー巡りを続ける中で知ったキャンティ・ワインの驚くべき味わい、それと同レベルで語られる讃岐うどんの驚くべき味わいは全国の春樹ファンに強い印象を残したに違いない。
村上さんのエッセイは見事だが、不満な点もないではない。あの幾度となく繰り返される永遠なる質問、「なぜ讃岐うどんは美味しいのか?」の考察がない。なぜ讃岐とともに三大うどんと称せられた秋田の稲庭うどん、群馬の水沢うどんは全国レベルにならないのか?小麦?塩?水?どれをとっても讃岐に地の利はない。なのになぜ讃岐なのか?原料、環境、風土に何の利点もないのに、なぜこれほど美味い安い早いの超絶フードが誕生したのか?
その答えのヒントは讃岐うどんが一子相伝の秘伝に守られた稲庭うどんとは正反対に、うどん屋と客の知識とアイデアを自由に集大成して成立したことにある。名物料理の多くは秘伝のタレや食材に寄りかかって商売するが、讃岐うどんに秘伝はない。たとえあっても、みんなが知れば秘伝にならない。何しろあちらこちらに各種格安のうどん学校があって、何十年もかけて生み出した特別な技法を脱サラ青年に簡単に教える。
うどん研究者たちも研究成果をどんどん無料で発表する。あらゆるうどん屋と客のあらゆる経験をあらゆる人々が共有する。伝統に安住してたらたちまち廃業だ。讃岐の猿真似とからかわれても讃岐人は平気で人まねをする。美味しい工夫は誰の発案でも受け入れる。客の要望には何でも応える。どんな風変わりなトッピングでも平気で並べる。
つまり讃岐うどんはLinux式なのだ。Linuxはネット文化を背景に著作権を主張せず世界中のプログラマーの知恵を集大成して作られたオープンソースOSである。著作権で世界を征服したWindowsとは正反対。もちろん稲庭うどんはとても美味しい。しかしいつでもどこでもだれでもは食べられない。100円でなく2000円だったら、讃岐うどんは革命にはならず、村上さんに筆を執らせることもなかっただろう。讃岐うどんはオープンソース革命なのだ。
(ACT理事長)
おっとっと、ちょっと過激なタイトルをつけちゃった(笑)。
先日うちの劇団はガルシア・ロルカの「血の婚礼」に想を得て「BLOOD」という作品を上演した。台本を書き上げたときから、わたしは「こりゃあ来るな」と予感していた。やっぱり来た。
アンケートのなかの一通に「人殺しの血筋という表現は差別につながる」とあったのだ。いるんだよねえ、たまにこういう人が。ま、もっとも「芝居そのものは素晴らしかった」と前置きがあったから、わたしもムッとはしなかったが、逆にだからこそ困ったもんだと暗澹たる気持ちになった。
はじめにお断りしておくと、わたしは「差別」に対しては激しい怒りをおぼえるタチである。だがそうとはいえ、物語をつくるうえで差別は避けて通れないということも実感している。
なぜなら舞台が世界の写し鏡なら、世界は厳然と差別を内包しているからだ。そこに目を閉ざし、キレイ事で物語をつくるのは、それこそ偽善であり、書き手としての不誠実につながる。
わたしの書く芝居には差別用語とされるセリフがしばしば飛び交う。これはひとつには言葉狩りに対するプロテストであるが、もうひとつはそういう言葉を「ない」ものにすることによって、本質を覆い隠そうという世間一般の風潮を苦々しく思っているからだ。
いうまでもなく差別というのは、西欧の平等主義から発している。だが多くの輸入思想と同じく、日本人は金科玉条のごとくそれをうやうやしく頂戴した。その原則にことさら忠実であろうとした。
そこで起きたのが無階級社会というとてつもない幻想だ。そんな社会がどこにある。バカバカしいにもほどがある。それはたしかに理想かもしれないが、現実を直視すればその理想がいかに突拍子のないことかがわかるはずだ。
わたし自身、アタマは悪いし顔も悪い。体型にしたところでチビ、デブ、ハゲで、大いに差別を受けている。世のなか頭脳明晰、容姿端麗な男子が多くいるなかで、これは不平等ではないのか。
こと話を芝居に戻すなら、差別を演じてはいけないというのなら、シェイクスピアの作品はほとんど上演不可能となろう。「ベニスの商人」はあからさまなユダヤ人差別だし、「オセロ」や「リア王」には黒人差別、老人差別の文言がイヤというほど書き込まれている。
芝居は差別であふれているのだ。暴力も戦争も、だ。ありとあらゆる悪が描かれてこそ芝居は「豊饒」を得ることができるのだ。芝居にモラルを持ち込んでどうなる。そこには「痩せた物語」しか見つかるまい。
もっといえば差別こそが文化のみなもとなのだ。なるほど差別は忌むべきコトかもしれないが、それがなければ芝居(つまりはすべての表現がだ)の世界はどんなに味気ないことか。
(劇団銀河鉄道主宰)
上村さん、何書くんかなあ。こないだは遊ゼミで「議論好き」のスイッチが入ったみたいだし(笑)、何かふっかけてくるんかなあ。明石さんは何書くんかなあ。たぶん難しい話書くんだろうなあ…とか。
私はたぶん本質が「マーケティング屋」だから、書いたりしゃべったりするのを頼まれたら必ず「市場」「競合」「自社」を考えてしまうのである。
「市場」とは、ここでは「読者」のことである。このコラムはいったい誰がターゲットで、誰に向かって何を書いて、読者にどうなってもらいたいのか、どう感じてもらいたいのか、さらにこの瓦版の目的は何で、私はこの原稿で何に貢献すればいいのか…みたいなことを、一応考えるのである。で、そこが決まらないと何を書いたらいいのかが決まらない。
「競合」とは、同じくコラムを書いている上村さんと明石さんである。ま、別に敵ではないけど(笑)、編集者の視点で言えばこんな小さな媒体に3つもコラムがあると何らかの共通性が必要だろうし、その共通性の中で三者三様の何らかの差別化も必要になってくる。そこが決まらないと何を書いたらいいのかが決まらない。
「自社」とは、私の能力である。これがないと、とても人前に出せる「商品」にはならない。だからいつも原稿催促係のO野さんに「誰か代わりの人に書いてもらって」とお願いしているのである。そういうわけで自分の中で未だどのコンセプトも決まらないままなので、今までの原稿も今回も、そんな曖昧な気持ちで書いています(笑)。
さぬき市に「造田是宏」という地名があるのですが、それを見て「これは“人名のような地名ランキング”全国1位ではないのか?」という疑問が生じたため、大学で作っているフリーマガジン『インタレスト』で「全国の人名のような地名」を集めてみました。相変わらずのオバカ企画(笑)。そしたら、結構すごいのがどんどん発見されまして…。いくつか紹介すると、
高知県高岡郡越知町「鎌井田清助(かまいだせいすけ)」
青森県八戸市「中居林彦五郎(なかいばやしひこごろう)」
京都市伏見区「向島又兵衛(むかいじままたべえ)」
その他、戸田ゆたか、福田あかね、北村豊正、高野由里、中畑タコ子(笑)等々・・・むちゃくちゃおもろい人名のような地名が60人以上発見されました。爆笑コメント付きで12月1日発刊予定です。入手希望者は割烹「遊」まで(笑)。
(四国学院大学教授)
話題が創作の方法論に移った。
彼はしきりと「テーマを巡って」とか「テーマに従って」という言葉をクチにする。
そのうち「あなたはどうなの」と聞かれたので、わたしは「オレ、そういうこと考えたことないッス」とボソッと答えた。センセイは呆れた顔をした。
じっさい、わたしは台本を書きはじめる際、テーマなんか決めたことがない。ただ書きたいシーンがあって、そこから面白いほうへ、面白いほうへとストーリーをころがしていくだけだ。
はじめて銀河鉄道の芝居を上演したとき、ラジオの取材を受けた。
最初は快調に受け答えしていたのだが、しばらくして記者が「ところでこの作品のテーマはなんですか」と訊いてきた。わたしは突然うろたえてしまった。
わたしは「ごめんなさい。ちょっとトイレに」とことわって、慌てて楽屋に向かった。
役者連中に「おいおい、この芝居のテーマってなんだっけ」と訪ねると「友情じゃないですか」とか「生きるとはどういうことか、だと思うんですが」などという答えが返ってきた。
エライ! おまえたちってスゴイなあ。
わたしはとって返して、記者にいま聞いたことをそのまま話した。
だがわたしにテーマがなんにもないのかというと、そうでもない。何作か書いているうちに、わたしはわたしのテーマを背負っているということに気がついた。
わたしは同じことを手を変え品を変えいっているのだ。
それは組織論であり、死生観なのだが、それを話すと長くなるので、そこは省略。
つまりテーマなんてのは、自分なかに常に内在しているもので、表現という行為におよべば自然とあふれでるものなのだ。
だからあらかじめテーマなどというのは設定しない。
こういうわたしであるが、たった一度だけ最初からテーマを決めて書いた作品がある。
それは一昨年ニューヨークに行って、911のグランドゼロに立ったときだった。21世紀の病いたるテロの話を書こうと決心した。
それも先進国から見たテロではなく、テロに走らざるをえない虐げられた側からのテロリズムとはなにかということであった。
こうして書いた作品は「世界の果てまで連れてって」という題名で上演された。
賛否のある作品になった。
ある人はわざわざ電話をくれて「あなたはテロを賛美しているのですか」と訊いてきた。わたしは「哀しみについて書いたんです」と答えた。
さて、今年は11月の21日、22日とサンポートホール高松の第1小ホールで「BAD」というミュージカルを上演します。
天保年間の江戸を舞台にした、ワルどもの跋扈する痛快時代劇です。でも娯楽作品のうちにも秘めたテーマはあるのです。たぶん(笑)。
見極めたくば、どうぞお足をお運びのほどを。
ヨハネス・フェルメールは17世紀オランダで活躍し、今では世界中に数多くのファンを持つ超人気画家である、と私は長らく信じていた。その確信に疑惑の影がさしたのは、数日前にロンドンから帰ったばかりという友人の一言だった。
「ナショナルギャラリーでね、フェルメールをたっぷり見てきたわよ。日本だと押すな押すなの大騒ぎだからね。よかったわよ。あの青は最高」。
確かにフェルメールの青は絵画史の中でも特筆すべきものがある。フェルメール・ブルーと呼ばれ、時には“天空の破片”とも呼ばれるこの青い絵の具は、ラピスラズリという非常に高価な鉱石を原材料とし、それをふんだんに使ったためにフェルメールは多額の借金を残したとまでいう人もいる。確かにあの青の美しさはただ事ではない。
しかし私をさらに驚かせたのはもう一人の友人の言葉だった。「そうですよね。やっぱりフェルメールはゆっくりがいいですよね。ぼくも去年の暮れにメトロポリタンで特別展示があった時、一日ゆっくり見てきました。展示室にぼくだけなんて時間もありましてね」。フェルメールをゆっくり、たっぷり、展示室にただ独りなんてことは、現代日本人にとってただ事ではない。
その時である。不審な思いが頭をよぎった。もしかするとフェルメールってザ・ベンチャーズなの?
実は日本の若者音楽に衝撃的かつ根本的な影響を与えたエレキの王様ザ・ベンチャーズは日本での絶頂期においてすら、米本国では人気がなく、日本だけの外国人アイドルだったのである。日本でのコンサートは超満員でも、米国では散々だった。
もしかするとフェルメールも、という疑念は調べるごとに霧と消え、彼は間違いなく世界の巨匠の一人だが、日本での人気ぶりは尋常ではない。パンダに群がり、モナリザに群がり、ベンチャーズに群がった日本人がいまフェルメールに群がっている。
しかしそれは悪いことではない。The Venturesは1959年に結成、何度もメンバー交代を重ねながら、今年50周年を迎えてなお日本で人気を保ち、その功績でとうとう米本国でロックの殿堂入りを果たした。マスコミの影響はあったにせよ、日本人が独自の価値観で取捨選択した結果が、世界に認められるのは悪いことではない。自らの耳と目と頭で自分たちのアイドルを生み出す。この力があれば私たちは幸福になれる。
(アーツカウンシル高松副理事長)
かなり以前のことになるが、当地のタウン誌に「笑いの文化人講座」なる人気コーナーがあった。読者が面白ネタを投稿し、それを優良可で採点し、年間チャンピオンを決定するというものだ。わたしも当時絶大なるファンのひとりで、そのコーナーを読むだけのために雑誌を購読していた。
とまあ、こうはいっても、読んでない人にはその面白さがわからないだろうし、知ってる人は多くを語らなくても納得してくれるだろう。(あの面白さを文章化するには、わたしはあまりにも非力だ)
とあれ、ここで問題なのはタイトルにある「文化人」という呼称である。つけた編集者が自覚していたかどうかはしらないが、わたしはこれはかなりキツーイ皮肉だったのではないかと疑っている。文化人という重々しい呼称を笑ってやろうという皮肉だ。あんたたちにこういうセンスがあるのかという挑戦だ。
文化というのはしばしば権威を生む。くだらない権威だ。そこから生まれるのは、つまらない上下関係や嫉妬だ。姑息な小政治だ。
あるんですねえ、こんな小さな地方にも。派閥だの系列だの。そういうウワサを聞くにつけ、わたしは心底うんざりする。吐き気さえおぼえる。
そしてそういったことを体現する人種として文化人なる人たちがいる。わたしにとって「文化人」とは蔑称でしかない。狭い世界で文化もどきのことをやって、名士を気取る。まったくもって軽蔑すべき人たちだ。
だが芝居などをやってると、わたしを文化人だと思う失敬なやからも出てくる。ときには「センセイ」などと呼んでわたしを小馬鹿にするやつもいる。
言っておきますけどね、わたしは文化人なんかじゃないですからね。だって「笑いの文化人講座」に再三応募して一度として採用されたことがないんですから。
文化人失格。それはわたしの勲章だ。
(銀河鉄道主宰)