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作家の村上春樹さんが服飾専門誌に「讃岐・超ディープうどん紀行」を執筆して20年、今やうどんと言えば讃岐というのは日本全国共通の常識だ。香川県内のうどんブームをリードしたのは麺通団率いる田尾和俊さんだが、全国版ブームは村上さんの紀行文がきっかけかもしれない。
さすがノーベル文学賞候補、触れるものがみんなゴールドとまでは言わないが、その目線の確かさには驚く。あの時代に書かれたうどんエッセイとしては他を寄せ付けない超一級品だ。アメリカのディープサウス(深南部)で食べるナマズフライの驚くべき味わい、イタリアに住んでワイナリー巡りを続ける中で知ったキャンティ・ワインの驚くべき味わい、それと同レベルで語られる讃岐うどんの驚くべき味わいは全国の春樹ファンに強い印象を残したに違いない。
村上さんのエッセイは見事だが、不満な点もないではない。あの幾度となく繰り返される永遠なる質問、「なぜ讃岐うどんは美味しいのか?」の考察がない。なぜ讃岐とともに三大うどんと称せられた秋田の稲庭うどん、群馬の水沢うどんは全国レベルにならないのか?小麦?塩?水?どれをとっても讃岐に地の利はない。なのになぜ讃岐なのか?原料、環境、風土に何の利点もないのに、なぜこれほど美味い安い早いの超絶フードが誕生したのか?
その答えのヒントは讃岐うどんが一子相伝の秘伝に守られた稲庭うどんとは正反対に、うどん屋と客の知識とアイデアを自由に集大成して成立したことにある。名物料理の多くは秘伝のタレや食材に寄りかかって商売するが、讃岐うどんに秘伝はない。たとえあっても、みんなが知れば秘伝にならない。何しろあちらこちらに各種格安のうどん学校があって、何十年もかけて生み出した特別な技法を脱サラ青年に簡単に教える。
うどん研究者たちも研究成果をどんどん無料で発表する。あらゆるうどん屋と客のあらゆる経験をあらゆる人々が共有する。伝統に安住してたらたちまち廃業だ。讃岐の猿真似とからかわれても讃岐人は平気で人まねをする。美味しい工夫は誰の発案でも受け入れる。客の要望には何でも応える。どんな風変わりなトッピングでも平気で並べる。
つまり讃岐うどんはLinux式なのだ。Linuxはネット文化を背景に著作権を主張せず世界中のプログラマーの知恵を集大成して作られたオープンソースOSである。著作権で世界を征服したWindowsとは正反対。もちろん稲庭うどんはとても美味しい。しかしいつでもどこでもだれでもは食べられない。100円でなく2000円だったら、讃岐うどんは革命にはならず、村上さんに筆を執らせることもなかっただろう。讃岐うどんはオープンソース革命なのだ。
(ACT理事長)