コラム・エッセイ

全国「人名のような地名」大集合 田尾 和俊(2010年11月10日)

上村さん、何書くんかなあ。こないだは遊ゼミで「議論好き」のスイッチが入ったみたいだし(笑)、何かふっかけてくるんかなあ。明石さんは何書くんかなあ。たぶん難しい話書くんだろうなあ…とか。

私はたぶん本質が「マーケティング屋」だから、書いたりしゃべったりするのを頼まれたら必ず「市場」「競合」「自社」を考えてしまうのである。

「市場」とは、ここでは「読者」のことである。このコラムはいったい誰がターゲットで、誰に向かって何を書いて、読者にどうなってもらいたいのか、どう感じてもらいたいのか、さらにこの瓦版の目的は何で、私はこの原稿で何に貢献すればいいのか…みたいなことを、一応考えるのである。で、そこが決まらないと何を書いたらいいのかが決まらない。

「競合」とは、同じくコラムを書いている上村さんと明石さんである。ま、別に敵ではないけど(笑)、編集者の視点で言えばこんな小さな媒体に3つもコラムがあると何らかの共通性が必要だろうし、その共通性の中で三者三様の何らかの差別化も必要になってくる。そこが決まらないと何を書いたらいいのかが決まらない。

「自社」とは、私の能力である。これがないと、とても人前に出せる「商品」にはならない。だからいつも原稿催促係のO野さんに「誰か代わりの人に書いてもらって」とお願いしているのである。そういうわけで自分の中で未だどのコンセプトも決まらないままなので、今までの原稿も今回も、そんな曖昧な気持ちで書いています(笑)。

さぬき市に「造田是宏」という地名があるのですが、それを見て「これは“人名のような地名ランキング”全国1位ではないのか?」という疑問が生じたため、大学で作っているフリーマガジン『インタレスト』で「全国の人名のような地名」を集めてみました。相変わらずのオバカ企画(笑)。そしたら、結構すごいのがどんどん発見されまして…。いくつか紹介すると、

高知県高岡郡越知町「鎌井田清助(かまいだせいすけ)」
青森県八戸市「中居林彦五郎(なかいばやしひこごろう)」
京都市伏見区「向島又兵衛(むかいじままたべえ)」

その他、戸田ゆたか、福田あかね、北村豊正、高野由里、中畑タコ子(笑)等々・・・むちゃくちゃおもろい人名のような地名が60人以上発見されました。爆笑コメント付きで12月1日発刊予定です。入手希望者は割烹「遊」まで(笑)。 

(四国学院大学教授)

それは「観光立県」政策か? 田尾和俊(2009年4月25日)

ハワイは今から100年ちょっと前の1895年にいわゆるハワイ人の王国が滅亡して白人資本家による共和国になったのだが、翌1896年に新政府は「法律61号」なるものを発布して、ワイキキを観光地化する「ワイキキプロジェクト」を開始した。これが、ハワイの観光地戦略の第一歩である。

新政府の白人資本家たちはそれまでサトウキビ産業で利益を上げていたのだが、新たなビジネスの可能性として観光産業に着目し、ワイキキを観光地に造り上げようとした。ところが当時のワイキキの海岸は養魚池や水田や沼地が広がっていてとても観光地という姿ではない。そこで、政府はまず「法律61号」でワイキキの養魚場や水田を買い上げ、1921年から内陸部に運河(アラワイ運河)を掘って、そこから出た土砂で海岸線を埋め、上から大量の砂を入れて、7年をかけて「ワイキキビーチ」を丸ごと作り上げた。これが「ワイキキプロジェクト」の大まかな概要である。

平行して1900年代に民間のリゾートホテルが2軒開業、1920年代にアロハタワー、ホノルル美術館開業。ハワイを舞台にした映画を20本以上製作、大型船が就航できる港湾を整備、ハワイアン音楽を創出。1935年にラジオ番組「ハワイコール」で世界に情報発信を開始。40年代にワイキキ水族館、1947年にホノルル動物園開業。1959年にアラモアナセンター開業。この時点で大型ホテルは4つ。でも観光客数は年間40万人。

ここから大づかみに観光客数と出来事を並べますね。1964年に日本人の海外渡航が自由化される。1967年の観光客数、100万人。1970年にジャンボジェット機就航。加えてリゾートホテルの開業ラッシュが始まり、観光客数は1972年に200万人、1976年に300万人、1982年に400万人、1986年に500万人、1988年に600万人、1990年に700万人。そこからしばらく横ばい状態に入って、1998年には674万人に減ったけど2005年には730万人に再び上昇。観光消費額は年間1兆5000億円近く。ハワイ州の域内総生産額の中で、軍事、砂糖、パイナップル産業を押さえてダントツ1位。

ちなみに行政の観光関連予算は60億円くらい。観光の中心であるホノルル市のあるオアフ島は、面積は香川県より少し小さく、人口も香川県より少し少ない90万人くらい(そのうちホノルル市だけで80万人以上)。ホノルル市の年間予算(一般会計)は1200億円くらい。香川県の予算は4200億円くらい。

何が言いたいかというと、「観光立国」とか「観光立県」とはそういうことだということです。ビジョン、中長期計画、集中投資。行政の役割(インフラ整備、法律施行、税制施行)と民間の役割の明確化。目指すべきかどうかは別にして、今、全国の自治体でやっている観光政策のほとんどは「観光立県」政策ではなくて、小さな成果が期待できるかどうかの「観光振興」程度の政策だろうと。とりあえず一度、何を目指すのかを整理してみてはどうでしょう。
(ACT顧問)

イワシのトルネード 田尾和俊(2008年8月8日)

「好きな海中の映像は何か?」と訊かれたら私は迷わず「イワシの大群」と答えるが、そんなことを訊かれることは一生あるまい。一生ないから自分で言うのだが、海のネイチャーもののテレビ番組を見ていると必ずと言っていいほど出てくる、イワシの大群がサメやイルカやカジキに襲われて竜巻のようにうねり回る、あれである。どれくらい好きかというと、家でディスカバリーチャンネルをつけて知人(と言ってもがもううどんの息子・通称ガモムス)の結婚披露宴に出かける準備をしていたらイワシの大群の映像が出てきて、時間がないのにぎりぎりまで見ていたら、あろうことか続いてニシンの大群が竜巻を始めて、「これはイワシをしのぐ迫力やぞ!」と興奮しながらとっさに頭の中で「めったに見られんニシンの大群の竜巻とガモムスの披露宴とどっちが大事や?」と並べて瞬時に「ニシンやろ」と判断して披露宴に遅刻した、というくらい好きだ。会場に入ったら司会の笑福亭小つるさんがすぐにマイクを持ってインタビューに来て、私はさっき見たばかりのニシンのトルネードを熱く語って披露宴のスピーチを終えたという失礼極まりないやつなので真面目な披露宴には呼ばないでください。と、ここまで書いて「イワシではなくニシンの大群の方が好きなのではないか?」という質問が私から出たが、真剣に答えるほどの疑問ではない。

さて、映像ではなく実際に国内で見られる「イワシの竜巻」の最大級のものは、名古屋港水族館であるらしい。情報によると3万匹のイワシが入った巨大水槽があって、毎日12時にエサやりか何かで3万匹のトルネードが見られるらしい。と、ここまで書いて、3万匹のイワシはどうやって数えるのか?「イワシ3万匹納入してくれ」と発注された業者はどうやってその注文に応えるのか?あるいは数でなくて重さで発注を受けたとしても、どうやって調達するのか?その都度海に獲りに行くのか?あるいは巨大水槽にいつも在庫を抱えているのか?あるいは獲ってくるとしても網で上げたらあの文字通り弱い「鰯」を生きたまま3万匹、どうやって上げ、どうやって運ぶのか?…と次々に疑問が浮かび上がってきたが、それらの疑問を解消するためにとりあえず名古屋港水族館に行くことにしたら、出発の1週間前にこの原稿の締め切りだと連絡が来たのでレポートすることができない。いずれにしろ、香川くんだりからわざわざ見に行こうという客を獲得する名古屋港水族館のイワシのトルネード。これぞ遠くから人を呼ぶ「差別化」である。ま、私だけ呼んでるのかもしれんけど(笑)。
(ACT顧問)

全長40mの、香川の海岸線パノラマ写真 田尾和俊(2007年4月20日)

「いつかやりたい」と思っていた企画が、このたび実現することになりました。それは、船で海に出て、香川県の西端豊浜から東端引田までの「海から見た香川」の写真を全部撮ってつなげてみたいというアイデア。実はこの企画は10年近く前に一度、香川県の広報誌のコンペの中で提案してボツにされたという過去があって、けど絶対おもしろいはずだとずっと思っていたところへ、大学で情報誌「インタレスト」を作ることになったために「よし、特集でやってみよう」ということになったのである。

まず、去年の12月24日に知り合いにボートを出してもらって、坂出港を出て海を引田まで走って300枚くらい写真を撮って来ました。続いて31日に同じく坂出港から出て豊浜まで走って200枚くらい写真を撮ってきました(クリスマスイブと大晦日にそんなことをやっていたのか)。

続いてその写真をもとに1月から、採用写真の選定やパソコン上での写真の連結作業を開始し、3月中旬に学生たちと一緒にプリントアウトと紙の連結作業をやって、とりあえず荒つなぎ作業を完了したのである。全長40mになりました(笑)。今、四国学院大学のノトス館の内壁に掲示しています。みんなで「荘内半島の先はこんなんやー」とか「これ、志度カントリー?」とか「これどこの山や?」とか言いながら見ています。

感想です。まず、40mにわたって海から見た香川の写真をつなげた壮観はさすがにすごい。次に、今まで見たことのなかった香川のおもしろい風景がいくつも発見されたという喜び。歓声が上がった風景は、
・観音寺市の有明浜の東にある江甫(つくも)山を海から見た、海上ピラミッドのような風景。 ・海から見た坂出港の後ろに林立する、飯野山を真ん中に三角錐の山が3つ並ぶ風景。 ・王越と大崎の鼻の真ん中あたりに現れる、先をやわらかくつまんだような美しい円錐形の山。 ・大崎の鼻の東あたりの、中国の大河を遡るような風景。 ・屋島を海側真正面から見た、巨大なUFOのような風景。 ・白鳥から引田のランプロファイア岩脈に続く、岩を荒々しく削ったような海岸線の風景。

以前北海道の知床に行った時、知床半島の片側を海から見て回る遊覧船に乗ったが、確か1時間の乗船券が3000円くらいしたような…。今回発見した海から見る香川の風景は、知床を上回るバリエーションかもしれない。誰か、遊覧船出しません?(笑)
                                            (ACT顧問)
(田尾和俊)

今さらですが、映画「UDON」 田尾和俊 (2006年11月17日)

2年くらい前に、「うどんの映画を撮るつもりなので話を聞かせて欲しい」といって、本広監督とスタッフの方々と脚本家が四国学院大学に私を訪ねて来たのである。私の研究室は狭いし、かといって応接室を使うような身分でもないので、生協の食堂の横の学生がたむろする場所を占領して(今思えばええかげんな会談場所であるが)、とりあえず讃岐うどんの現在情報について、うどんのこと、うどん屋のこと、ブームの現状、数々の爆笑エピソード、感動エピソードなどをいっぱい話したら、次に私がやってきたことを全部話してくれと言われて、タウン情報誌のこと、私がやってきた情報発信の手法、私がやってきた讃岐うどんへのアプローチの手法などをいっぱい話したのである。

去年の7月に監督とスタッフと違う脚本家が来て、また讃岐うどんのことと私がやってきたことを話してくれと言うので、またいっぱい話をしたのである。

今年の1月に監督とスタッフとまた違う脚本家が来て、またいろいろ話したのである。

映画「UDON」に関して、私が関わったのは以上である。あと、今年の4月に瀬戸大橋記念公園のマリンドームに来てくれと言われて行って、言われるままに客席に座って笑っていただけである。そしたら、あの映画ができていました。

あの映画は、架空の「松井製麺所」という設定と山にクマがいること以外、ほぼ実話ばかりがちりばめられている。映画の中で連呼される「麺通団」は、私が団長を務める実在のグループで、正式名称を「ゲリラうどん通ごっこ軍団」と言う。1989年に私がタウン誌で始めた怪しいうどん屋探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」のお笑い探訪仲間である。この正式名称に、我々のうどんに対する基本的なスタンスが表されている。すなわち、我々は決して権威を標榜しない「ゲリラ」であり、決して本格的食通を目指さない「ごっこ」なのである。言い換えれば、あちこちで「逃げ」を打っているわけですね(笑)。だって遊びなんだもん。

で、遊んでたら、全国のマスコミが一緒におもしろがってくれてブームになって、監督までおもしろがって映画になったのである。映画に関する詳しい話はスペースがないので書けませんが、一つだけお願いがあります。私は授業や講演であの映画の中に出てくるいろんな表現を時々使っていますが、もし聞くことがあったら「あいつ、映画のセリフをパクっとる」って言わないでくださいね。全部私が実際に仕事の現場で使ってた実話ですから(笑)。
                                           (ACT顧問)
(田尾和俊)

「ピーマンを食べなさい」の疑問 田尾和俊(2006年5月20日)

私はピーマンが嫌いである。理由は苦くて青臭いからである。できれば今後も食べたくない。中華もピザもピーマンの入ってないやつを選ぶし、強制されない限り、今後率先してピーマンを食べることはない! とかなり強く言い切れる。

ピーマン嫌いが高じて、私はピーマンについて以前から一つの疑問を抱いている。それは、「多くの母親はなぜ、子どもにピーマンを食べることを強要するのか」という疑問である。私がピーマンのことを日常やテレビや雑誌で見聞きする時、かなり多くの頻度で「ピーマン嫌いの子ども」vs「"ピーマンを食べなさい!"と言う母親」という図式で伝わってくる。そのつど、私は心の中でツッコミを入れるのである。

「じゃ、ピーマンを食べないと、子どもは一体どうなるというのか」

ま、そんなに厳しく追及するつもりはないですけど(笑)。しかし、自分で言うけど私は子どもの頃からピーマンを食べずにとりあえずすくすくと育ってここまで来たし、私の周りに何人もいるピーマン嫌いのやつも、みんなそれなりに真っ当にちゃんとここまで来ている。ちなみにピーマンを平気で食べられる知人もいるが、そいつが人並み以上に何が優れているかというと、特に何も思いつかない。子どもに「ピーマンを食べろ」というのは、もしかしたら親が何か情緒的なものに洗脳されているのではないか、とさえ思うのである。従って私の持論は「ま、別に無理してピーマン食べんでもええんちゃうん」という感じである。

今、周りを見渡すと「子どもに○○をさせろ」という意見が昔に比べてずいぶん増えているという感じがする。それを聞くたび、私は「じゃ、それをやらせなかったら子どもはどうなるうのか?」と自問してみるのであるう。すると、明確な答がないものがかなりあることに気がつく。その時は、たいてい何かの思いこみか洗脳か、あるいはそれを提唱している人の何かの意図(大人の都合)があるのだと思っている。だから私は、「それをやらなければどうなるのか?」に対する明確な答がないものは子どもに押しつけないようにしているのである。大学生に対してもである。そんなことに熱心になるより、自分が大人として、苦しみながらもしっかり生きていることを見せるほうがずっとましだと思っているからである。何しろ子供たちが大人になる10年後、20年後に、今自分が持っている答が正解であるかもどうかも怪しいのである。

                                           (ATC顧問)
(田尾 和俊)

ない話 田尾和俊(2006年2月12日)

いつものようにジャズ屋で仲間たちとバカ話をしていたら、ボウリングを盛り上げるために映画を作るというネタになったのである。

ごん「ビリヤードも映画のハスラー2からブームになりましたからね」

田尾「となると、タイトルは“ボウラー2”やな」

ごん「1がないのにいきなり2ですか!」

田尾「何でもあやからないかん。で、主題歌はミック・ジャガーに頼んで“ボウリングストー
    ンズ”を再結成してもらう」

猿人「おっさん何かモゴモゴ言うたで!」

田尾「主役は、つんくに頼んで“ボウリング娘。”に出てもらう」

猿人「何か言うたで! よーに聞き取れんかったけど何か言うたで!」

田尾「そこにライバルが現れるね」

ごん「ライバルは絶対いりますね」

田尾「ライバルに水の江滝子が出てきて、ストライクを3連発や」

ごん「ターキーさんやがな!」

猿人「若い子、知りませんがな!」

田尾「するとそこに、ターキーさんを上回るすごいやつが登場や」

ごん「ターキーの上は何でしたっけ? ストライク4連発は…」

田尾「フォースや」

ごん「あーっ!(笑)」

田尾「黒いヘルメットかぶってマント着てスーハースーハーいう、フォースを使うすごい
    やつ(笑)」

ごん「あんた、バカですな」

***

これが私の息抜き兼ストレス解消兼頭の体操兼アイデア創出訓練の一つ、「ない話で盛り上がる」という遊びである。かなりハイレベルのハイテンションでこれができる仲間が、私の周りに10人くらいいる。年齢構成は30代中盤から40代前半のやつがほとんど。全員男。いずれも10年、20年来の仲間で、みんな10年以上にわたってこの遊びを重ねてきた「ない話」の熟練職人(笑)ばかりだ。普通に日常会話をしている時に、突然誰かが「ない話」に展開し始めると、そこからみんな秒速2万回転で頭を回して必死でネタを繰り出し合うわけです。ボケないかんしツッコまないかんし、何よりウケないかんし。県外からお客さんを迎えてうどん巡りを案内する時、私はよくこの仲間を同行して、お客様を腹筋つるほど笑わせてあげます。みんなサービス精神いっぱいですから。

                                           (ACT顧問)
(田尾和俊)

入り込み数で見る素材のポテンシャル(田尾和俊)

去年からちょっと気になっていることがあって、県の担当の方に「香川県観光客動態調査」なる資料を入手してもらったのである。気になっていたこととは、ここ数年注目を集めている“アートの島”直島の、1年間の観光客数である。

何人くらいだと思いますか?

もったいぶって、参考データを出していくことにしましょう。平成16年の資料によると、香川県の観光客が行くスポット(施設や場所や、あるいは限られたエリア)のうち、年間100万人以上の入り込み数があるところは5カ所。第1位は年間316万人を集めた「こんぴらさん」。第4位に116万人を集めた「小豆島」。香川の4大観光地と言われるあと2つの「屋島」と「栗林公園」はともに50万人台ですから、それ以外の場所が2位、3位、5位にいるということ。さて、どこでしょう?

答は、こういうことになっています。
1位 316万人 金刀比羅宮
2位 261万人 与島
3位 134万人 ニューレオマワールド
4位 116万人 小豆島
5位 114万人 総本山善通寺

もちろん人数のカウントの仕方で資料によって下2桁くらいはいろいろ違う数字になっているが、大づかみでこんな感じである。で、6位以下は大きく離れて50万人台以下に並んでいる。で、問題の直島。平成16年の直島の入り込み数は、平成15年の約2倍にも急増している! とあおっておいて(笑)、記載されていた数字は「年間10万人」でした。ついでに引っ張り出してみると、文化・アート関連の施設の動員数はこんな感じ。

1位 13万6584人 高松市美術館
2位 11万0770人 香川県歴史博物館
3位  8万0981人 猪熊源一郎現代美術館
4位  5万5347人 瀬戸大橋記念館
5位  4万9366人 中津万象園
6位  3万7904人 ベネッセハウス
7位  3万0232人 地中美術館

県外客の比率はわからない。しかしいろんなことが示唆されますなあ。

ちなみに「サンポート高松」の入り込み数は365万7000人と書かれている。讃岐うどん巡りの客は資料にはないし調べようもない(ま、ないことはないけど)が、他のいろんな資料の数字や店の数、主な店の客数などから読むと、どんなに低く見ても県外客だけで年間200万人は下らないだろうというのが私の予測。すごく大ざっぱな数字だけど。
                                (アーツカウンシル高松顧問)
(田尾和俊)

飲酒免許 田尾和俊(2005年5月29日)

たまにはオバカコラムも息抜きにいいのではないかという言い訳をして、最近お祝い事が続いてお酒の席に呼ばれてはつらい思いをする“飲めない私”からのうわごと。

「飲酒は20歳から」は日本のルールで、アメリカは21歳から、ヨーロッパの国々のほとんどは16歳とか18歳から。「ビールは16歳から、ワインと蒸留酒は18歳から」とか「食事を伴えば16歳でもOK」とか、いろんな細則のある国もかなりある。と聞いたところで、ふと思ったのである。結局どの国も年齢で区切っているのか、と。

年齢制限の根拠はおそらく、肉体的なもの(要するに肝臓力)と精神的なもの(飲酒の危険性に対する人間力)の2つがあるのだろうと思うが、この「肝臓力」については、年齢より体質の問題が大きいのではないかと思うわけです。私はアルコールに対する肝臓力はゼロに近いから、「お前もう49歳だろ?」とか言ってドカドカ飲まされると、倒れます。20歳を過ぎたからオッケーと言って新歓コンパでバカバカ飲ますと、倒れる若者も出てきます。よって、こういう事態を避けるために、肝臓力による
飲酒制限「飲酒免許」の発行を提案します(笑)。

何かでアルコールに対する肝臓の力を測定して、免許を発行するわけですね。基準を超えれば普通飲酒免許、めちゃめちゃ強い人にはゴールド飲酒免許。お店に行くと、飲酒免許を見せないとお酒類を出してくれない。免許によって制限量が決められていて、制限量に達するとストップがかかる。ゴールド免許は限定解除でなんぼでも飲める……みたいなバカ話をこないだ、仲間とやってました。
私「めちゃめちゃ弱い人には仮免しか発行しない」
T「何ですかそれ」
私「教官が一緒でないと飲めない(笑)」
C「料理屋に行ったらですね、みんな漬物に奈良漬けがついてるのに仮免のやつは白
菜がついてる(笑)」
T「牽引飲酒免許を持ってるやつは、酔っぱらったやつを連れて帰ってもいい(笑)」
J「特殊免許を持ってたら酒を造ってもいいとか(笑)」
 こんな話を1時間ぐらいしてました。私にとってはいつものこと。バカ話は頭のリ
フレッシュですなあ。
                                       (ACT顧問)

(田尾和俊)

瀬戸内海の楽しみ方 田尾和俊(2005年2月5日)

私の友人がこないだ、仙台の松島に行って来たのであるが、その感想の一番がこれだったのである。

「瀬戸内海はほんまに美しいわ」

日本三景といわれる名勝の一つに期待をして行ったら、瀬戸内海の方が美しかったという感想である。言われるまでもなく、瀬戸内海は美しいのである。で、我々はそこから先に進むことにした。

そこから先に進むとなると、普通これまではこういう進み方をした。

外に出てみて初めて、郷土の財産の良さに気が付いたりする。瀬戸内海も同じである。
(1)だからみんな、瀬戸内海の美しさをもっと認識しよう。
(2)瀬戸内海の美しさをもっと全国や世界に情報発信しよう。

で、おしまい。あとは心ある方々が気づいた時に「多島美が美しい」「夕日が美しい」と呼びかけるばかりである。ここで、「目的」に返る。目的が「瀬戸内海の美しさを知ろう。知らせよう」であれば、戦略は「呼びかける」「写真などを見せる」でいいし、その目的に対して成果を挙げるためには、呼びかけの回数や写真情報発信の量や媒体を増やせばいいということになる。しかし、目的を「見に行こう。見に来て
もらおう」とすると、戦略は変わってくるのである。すなわち、
「瀬戸内海をどこで見るか」
「瀬戸内海をどう楽しむか」

ここに進んでいかないと、人を集めるという目的に対してはあまり成果が期待できないのである。今年に入って、私は有志10人くらいで、そこに突っ込んでいっている。
視点は、これまでとはちょっと違う。例えば、「瀬戸内海をどこで見るか」

これ、普通展望スポットを並べようとするでしょ?

私らは違うんです。ただの展望台や展望所では、人を集めるポテンシャルが低いんです。
「瀬戸内海をどう楽しむか」

これ、普通クルージングとか海水浴とかに頭が行くでしょ? 私らは違うんです。今、「そんな楽しみ方があったのか」という変なものを調べています(笑)。

詳しくはスペースがないので、機会があれば別のところで。改めて、瀬戸内海は“大ネタ”です。
                                            (ACT顧問)
(田尾和俊)

魂の抜けた言葉 田尾和俊 (2004年10月24日)

数年前、あるトーク番組に出た時のことである。私を含めた男3人と進行役の女性レポーターがいろりを囲んでうまいもんを食べながら雑談をするという設定で、話している途中に、名物料理とかでドジョウ鍋が出てきたのである。

私「ここはSさん、レポーターやからドジョウを食べて一言コメントせないかんやろ」

S「私ー? 私ドジョウ、ダメなんですよ」

私「だめだめ、プロは何が出てきてもちゃんと食べてコメントせな」

G「それも視聴者が思わず食べたくなるような、おいしそうなコメントをね」

S「えー?」

などと言いながら、我々に急かされてドジョウを頭ごと丸ごと口に入れて食べたSさん、満面に笑みを浮かべて一言言いました。

S「ん~! カルシウムがたっぷりですねえ!」

全員「わかるんかい!」

ま、Sさんは本人は頑なに否定するが周囲が認める"天然"であるから、そんな魂の抜けた(笑)コメントをしてもみんな笑ってオッケーなのであるが、編集屋出身の私に言わせれば、もうそこいら中で、特にプロの世界で「魂の抜けたコメント」が蔓延していて、しかも多くのプロが、そのコメントに魂が抜けていることに気づいていないのではないかと思うのである。

「骨ごと=カルシウム」や「ジューシー」や「フルーティー」といったグルメ表現だけではない。例えば「期待したいものです」「懸念されます」「みんなで考えていかなければならない」......といった、とりあえずオッケーみたいな表現が非常に多いが、もし発言する側に魂が入っていれば、絶対にそんな表現にはならないのである。

本当に何とかしなければいけないと思っている人は、「考えていかなければならない」みたいなコメントは絶対しない。本当に四国の独立リーグを応援する人は「地域の活性化に結びつくことを期待している」などという魂の抜けたコメントはしない。そういうコメントに魂が抜けていることは、自分が当事者の立場にたったことを想像すればすぐわかる。そして実は多くの客や視聴者や読者は、魂の抜けた"他人事のコメント"に気がついている。気がつかずに酔っているのは、実はプロだけだったりするのである。                                          (ACT顧問)

(田尾和俊)

車の時代 田尾和俊(2004年7月19日)

何を今さら「車の時代」などと。そんなこと言われなくてもみんな知っているわけである。高松市の中央商店街が郊外店に客を取られているのも、駐車場不足がネックだ、駐車場が有料なのがネックだ、などとみんな言っているのである。もちろん「コンテンツに魅力があるかどうか」が最大の問題なのであるが、それでも車で移動する客に対応できているかどうかは非常に重要であると、みんな知っているのである。

香川県観光協会が発表した平成15年の観光客に関するデータによると、総入り込み数が14年の738万人から778万人に増えたとのことで、マスコミでも「観光客増加」があちこちで報道されたが、注目すべきはこっちのデータである。

「交通機関別観光客数」。これを見ると、自動車での入り込みが70%と、圧倒的なシェアになっている。しかも残り30%の鉄道、飛行機、船はすべて前年比横ばいか減少なのに、自動車だけが前年比8%(約40万台)増。ということは、総入り込み数の増加分まるごとが、自動車という計算になる。傾向は明らかである。ところがですね……。

先日テレビの取材で屋島山上に上がった。上がってみるとすぐわかる。いや、問題意識を持たずに上がると全然わからないかもしれないが、ここはおそらく香川で一番、自動車に非常に不親切な観光地なのである。理由は3つある。

1つは、屋島山上の振興を考えているみんなが口にする「610円の有料道路」である。ここを通る以外、屋島に車で上がる方法はない。2つ目は、屋島寺、展望台、水族館といった主要コンテンツにことごとく、駐車場がないことである。というより、そこへ行く車道さえ制約だらけで、車の道の体をなしていない。3つ目は、置き去りにされた北嶺。だいたい半島や岬といったものは「最先端」こそが目玉スポットであるのに、最先端の北嶺に車で行く道がない。ドライブレジャーを念頭に置くと、すぐにこの3つがわかる。有料道路の問題だけではない。

これほどあらゆるデータが「車の時代」を指しているのに、ほとんどすべての状況がそれに逆行しているのが、屋島である。それを認識することが屋島山上振興のビジョン作りのスタートだ、というのが私の感想である。そこを外した議論は、「車の時代」を知ってはいるが認識はしていないということである。

国立公園だから車環境を整えることができないというのなら、「では代替で何で上がらせるのか」「上がった後、何でどう動いてもらうのか」が、最大の検討要素ではないか。屋島ケーブルは大人片道700円である。北嶺までは延々歩くしかないが、途中にハチがたくさんいたりして怖い……。

これは屋島に限った話ではないし、観光に限った話でもない。店だろうが催し物だろうが、要するに人が何で動くか、何にどう動くかという根本的なところに強く問題意識を持たないと、有効な対策から外れていくと思うのである。  
                                           (ACT理事)
(田尾和俊)

同じ鳥を見て違う鳴き声を聞く 田尾和俊(2004年4月10日)

湯布院のことは、いろんな所で聞いてきたのである。テレビでも見たし本でも見たし、シンポジウムでも聞いたし、まちおこしの成功例としての資料も見てきた。ついでに言えば、インターネットのホームページで議員さんやお役人さんが湯布院に視察に行った報告もいくつも見た。

それらを総合すると、おおよそこういうことである。
・湯布院は1970年代初頭に地元の有志がヨーロッパを視察し、まちづくりを始めた。
・湯布院のまちおこしは地元の住民主導で行われ、それが成功の大きな要因となった。
・湯布院は滞在型の温泉地として成功し、リピーターが非常に多い。
・大分の一村一品運動によって生み出された特産品が、湯布院の魅力の一つになっている。
・映画祭をはじめとするイベントがまちおこしの成功に大きく貢献している。
・景観を大切にした町並みで、美術館も多く、文化の香りが高いことが大きな魅力である。

……うんぬん。まあ私もいろんな人の話や資料から、そういうことなんだろうと思いながら、先日機会があって20年近くぶりに1泊で湯布院へ行って来たのである。

私が収集した情報は、こういうものである。
・観光客が爆発的に増え始めたのは、1985年から90年にかけてである(データあり)。
・観光客の75%以上が、日帰り客である(データあり)。
・主な宿泊施設数軒からの聞き取りでは、リピーターは1割にも満たず、ほとんどが一見客である。
・観光客でごった返す通り沿いの店は100軒近くあるが、その多くが福岡をはじめとする県外からの出店である。
・それらの店は、ほとんどが地元の物産の店ではない。中でも大人気の店は「ジブリ」の店(トトログッズとか)である。
・店や商品はどれも非常にデザインレベルが高く、人をいっぱい集めているが、美術館に行く客はかなり少ない。

……うんぬん。かなり、というか、めちゃめちゃ違うやないか!

要するに、まちおこしの視察の視点がずれているのである。人を集めたいのなら「誰が何をやったか」ではなく、やったものの中の「何が、どんな人を、どれだけ集めているのか」という視点で仮説を立てて、それを検証するために情報を集めないと、あまり意味がないのである。ここ10年来、湯布院へ視察に行った人は数知れないだろうが、これを参考にまちおこしに成功したという話はほとんど聞いたことがない。視点と仮説がずれていたのでは、それも当然である。
                                         (ACT理事長)
(田尾和俊)

何をやっているのかだけ、教えてくれませんか?(前編) 田尾和俊(2003年10月1日)

10年くらい前まで、私にはジャズはただの「歌のないBGM」だったのである。たまにボーカルのジャズが聞こえてきたら、それはただ、歌手が歌を歌っているのだと思っていたのである。だから10年くらい前、FMの番組でジャズのコーナーをやってくれと言われた時、ワラにもすがる思いでジャズ屋のマスターの所へ行って「すんません、ジャズってどういうことですか?」とたずねたのである。あの時のことは今でも忘れない。

マス「何を知ってんねん」

私「いや、何をと言われても…“枯葉”とか…。いや、枯葉はシャンソンですか…」

マス「ま、枯葉でもええわ。枯葉聞くか?」

私「あ、はい」

マス「終わるまで帰るなよ」

私「あ、ええです」

私はその時には、「終わるまで帰るなよ」の意味が全くわかってなかった。「何を言うとんやろ? なんぼ長い曲だとしても、そんなもん何でもないがな」と思っていたのである。マスターは店内の壁にびっしり収まった数千枚のレコードの中から1枚を取り出した。何かちょっとアレンジしたみたいな「枯葉」が流れてきて、10分ぐらいで終わった。確かに普通の曲と比べると長いけど、ま、10分ぐらいやんか…と思っていたら、マスターが言った。

マス「今のがキャノンボールとマイルスの、ま、よう聞く枯葉やな。次はビル・エバンスの枯葉行くか」

私「へ?」

わけのわからないまま、次のレコードがかかった。また「枯葉」だ。けど、さっきと全然違うぞ。………2曲目が終わった。

マス「次はウィントン・ケリーの枯葉じゃ。日本人はこいなんが好きならしいけどの」

私「………」

………3曲目が終わった。

マス「こいつはビル・エバンスのもういっちょ、ジェレミー・スタイグっちゅう笛吹きといっしょにやっとる枯葉や」

………それからというもの、曲が終わっても終わっても次から次から「チック・コリアの枯葉じゃ」「次はキース・ジャレットの枯葉」「これはおもろいぞ、ジャニス・ジョプリンの枯葉」………。終われへんがな!

次から次から違う「枯葉」が流れてきて2時間が経過した頃、私は言った。

私「すんません、もうこらえてください」

マス「もうええか。ジャズいうのはな、まあそういうこっちゃ」
                                (アーツカウンシル高松理事)
(田尾和俊)

何をやっているのかだけ、教えてくれませんか?(前編) 田尾和俊(2003年10月1日)

10年くらい前まで、私にはジャズはただの「歌のないBGM」だったのである。たまにボーカルのジャズが聞こえてきたら、それはただ、歌手が歌を歌っているのだと思っていたのである。だから10年くらい前、FMの番組でジャズのコーナーをやってくれと言われた時、ワラにもすがる思いでジャズ屋のマスターの所へ行って「すんません、ジャズってどういうことですか?」とたずねたのである。あの時のことは今でも忘れない。

マス「何を知ってんねん」

私「いや、何をと言われても…“枯葉”とか…。いや、枯葉はシャンソンですか…」

マス「ま、枯葉でもええわ。枯葉聞くか?」

私「あ、はい」

マス「終わるまで帰るなよ」

私「あ、ええです」

私はその時には、「終わるまで帰るなよ」の意味が全くわかってなかった。「何を言うとんやろ? なんぼ長い曲だとしても、そんなもん何でもないがな」と思っていたのである。マスターは店内の壁にびっしり収まった数千枚のレコードの中から1枚を取り出した。何かちょっとアレンジしたみたいな「枯葉」が流れてきて、10分ぐらいで終わった。確かに普通の曲と比べると長いけど、ま、10分ぐらいやんか…と思っていたら、マスターが言った。

マス「今のがキャノンボールとマイルスの、ま、よう聞く枯葉やな。次はビル・エバンスの枯葉行くか」

私「へ?」

わけのわからないまま、次のレコードがかかった。また「枯葉」だ。けど、さっきと全然違うぞ。………2曲目が終わった。

マス「次はウィントン・ケリーの枯葉じゃ。日本人はこいなんが好きならしいけどの」

私「………」

………3曲目が終わった。

マス「こいつはビル・エバンスのもういっちょ、ジェレミー・スタイグっちゅう笛吹きといっしょにやっとる枯葉や」

………それからというもの、曲が終わっても終わっても次から次から「チック・コリアの枯葉じゃ」「次はキース・ジャレットの枯葉」「これはおもろいぞ、ジャニス・ジョプリンの枯葉」………。終われへんがな!

次から次から違う「枯葉」が流れてきて2時間が経過した頃、私は言った。

私「すんません、もうこらえてください」

マス「もうええか。ジャズいうのはな、まあそういうこっちゃ」
                                (アーツカウンシル高松理事)
(田尾和俊)

表現力は教えない 田尾和俊(2003年7月12日)

10数年前、30代前半でタウン情報誌の編集長をやっていた頃、私は某所のカラオケ大会で数年間にわたってゲスト審査員(というかイロモノ審査員)をやったことがある。毎週20人くらいが出場して、何週間か予選を行い、1カ月後くらいに決勝をやってたような記憶があるから、たぶん毎年100人くらい出てたのではないか。その中に、例によってカラオケ教室の生徒とおぼしきおばさんたちが、毎年数十人(おそらく数カ所のカラオケ教室から送り込まれていたと思われる)出場していた。教室の生徒は一目で丸わかりである。みんな判で押したように“モデル立ち”をし、片手にマイク、もう片手はマイクのコードを握り、訴えかけるように歌い上げるのだから。あれはかなりつらかった(笑)。

その数年後、今度はFM香川主催だったか協賛だったか、10代、20代のボーカルコンテストみたいなイベントの審査員に呼ばれた。ま、若者のカラオケ大会みたいなものである。ところがこれが、一人一人むちゃくちゃええんだ。ダンス抜群の子もいれば歌唱力抜群の子も。とにかく個性的な表現力の子(グループも)が次々に登場してくるのである。聞くと、カラオケ教室に所属している子はゼロ。みんな独学か、プロのボーカルスクール出身か。

結局何が違うのかというと、センスなのである。教わる発声の技術はたぶんそう違わないのだろうが、センスが違うのである。例えば、先生が「表現の仕方」まで教えてしまうのか、教えるのは技術までで止めて表現の仕方は本人の個性を引き出すのか、という違いである。極端に言えば、表現方法まで教えてしまうと、生徒の表現力は教えた先生のセンスになってしまう。そしてそれは往々にして、一昔前の古い表現方法であったりするのだ。

かつて3回ほど審査員を務めたダンスコンテストも、全く同じことが起こっていた。教える教室の先生のセンスがモロに出るのである。技術はかなりレベルが高いのに、振り付けのパターンが実にダサイのである。決めのポーズなんか、見てて恥ずかしくなったりするチームがいくつもある。

私は、仕事であれ芸能であれ、伝統を忠実に引き継ぐという種類のもの以外は、先生が教えるのは技術までにとどめておく方がいいと思っている。雑誌の編集も同じである。私は編集長時代、人を動かす文章や企画の技術は社員の誰にも負けない自信があったのでかなり長く現役を張っていたが、編集長は35歳で降りた。20代を中心とした若者情報誌の編集長をやるには、表現のセンスが古くなってきたと感じたからである。例えば、企画はできるが写真の見せ方やデザイン、レイアウト、キャッチコピー、見出しとなると、10歳以上年下の世代のセンスに乗り切れなくなってくるのである。ビジネスの現場も同じである。「売れるまで帰ってくるな!」などという軍隊式号令はバブル期のセンスであり、付加価値の時代に通用するものではない。だから私はずっと、若い世代に技術は必死で教えるが、センスを要求される表現力については教えないことにしているのである。
                                  (アーツカウンシル高松理事)
(田尾和俊)

行政の枠 田尾和俊(2003年4月1日)

何だかここ1年ぐらいで「この讃岐うどんブームについて仕掛け人としてどう思いますか?」という質問を全国のあちこちのマスコミから受けたが、おもしろいもので、最近数ヶ月は新聞社からの質問が圧倒的に多い。朝日、読売、毎日、産経、日経、山陽新聞に北海道に鹿児島に…。

何がおもしろいかというとですね、1989年にタウン情報かがわで「ゲリラうどん通ごっこ」を初めて、これが今日のブームの発端で、1993年に「恐るべきさぬきうどん」の第1巻を出した頃にはすでに県外からの讃岐うどん巡りブームが始まっていたわけですが、全国のトレンド系を中心とする雑誌からの取材は1992年頃から来始め、95年頃からはもう各誌独自でバンバン特集を組み始めて、もう今さら「ブームについて」なんて質問は来ないわけなんです。続いてテレビも1993年頃からテレビ東京を皮切りに(笑)全国のいろんな番組がブームの秘密を探り始め、取材は来るわ特番は組むわで、今、「ブームの秘密」なんかを探ってくるのはニュース番組くらい。で、新聞は2000年台に入ってやっと、来たわけです。「もともと扱うテーマが違う」という媒体特性はあるでしょうが、雑誌が来てテレビが来て新聞…という順番は、これは明らかにトレンドに対して敏感な順番ですね。しかも、去年からの東京を中心とした讃岐うどんチェーン店の出店が「讃岐うどんブーム」だと思っているところがほとんど…。地元を見ても、雑誌(タウン誌)に始まってテレビ(なぜか岡山のRSKの「VOICE21」が最初)、新聞と、やっぱり同じ順番です。

ちなみに、ちぎれて最後方を走って(歩いて?)いるのは、予想通り「行政」です(笑)。ま、マスコミではないですけど。何たって、去年の夏頃の時点で讃岐うどんブームを知らなかった市長や町長がたくさんいたんだもの(さすがに高松市長と満濃町長は90年代の後半にはブームを認識していました。もちろん明石さんもね)。

例えば、雑誌は紙面刷新の頻度はもちろん、新雑誌の創刊も廃刊もどんどん行われる。テレビは開局、閉局はそうそうないけど番組改編が年2回ペースでどんどん行われる。新聞は、大幅刷新はそれほど行われない。行政は構造的に変わらない。これもトレンドに対する敏感さと同じ順番である。良し悪しというより、それぞれの特性ではあるが。

そういう中で、特定非営利活動法人(NPO法人)である。唐突にであるが、今月はNPOというテーマで書いてくれといわれたので無理やり持って行った。NPOはいわば活動のくくりであるが、NPO法人は行政の作った枠である。さっきのインデックスで見ると、最後方を歩く4番目の特性を持った枠である。この枠は時々甘い味がするが、何も考えずに吸っていると筋肉が落ちていくという危険をはらんでいる。
                                   (アーツカウンシル高松理事)
(田尾和俊)

何をやっているのかだけ、教えてくれませんか?(後編) 田尾和俊(2004年1月5日)

前号から間が空きすぎて誰も前編の内容を覚えていないと思うが、ここに前号のあらすじを書いていたのではあらすじで半分スペースが埋まってしまうので書かない。要するにマスターは私に、わずか2時間、10数曲の「枯葉」を聴かせるだけで、見事に象徴的に「モダンジャズとは何事か」を教えてくれたのである。その瞬間から私にとって、ジャズは「ただのBGM」から「興味を持って聴く音楽」に変わった。そうか。ジャズはその曲のオリジナル(もと歌)が重要なんではなくて、その曲を誰がどうやって演奏しているのかがおもしろいんだ。

 「オリジナルだって重要じゃないか」という次元の話ではない。「何をやっているのかがわかれば、興味がいっぺんに沸き出す」という話である。野球だってアメリカンフットボールだってそうだ。ルールがわかって、作戦がわかって、選手や監督が何をやっているのかがわかれば興味は倍増する。アメフットをよくわからない人に「アメフットって、何がおもしろいの?」と尋ねられて、「何がと言われても、あなたの
感じたままですよ」とか答えたのでは、おそらくその人はアメフットに興味を持つことはないと思う。でも、絵画や彫刻や書にあまり興味がない私が「何がおもしろいのか、何がいいのか、(作者は)何をやっているのか」と尋ねると、多くの関係者から表現こそ違え、「あなたの感じたままです」という内容の答を何度もいただいてきたのである。美術展に「1000万円」と「50万円」の値札の着いた壷が展示されていて、みんなが1000万円の壷の前で口々に「素晴らしい」と絶賛していたら、係の人がやってきて「すみません、値札間違ってました」と言って「1000万円」と「50万円」の値札を入れ換えた、という笑い話があるくらいだから、突き詰めれば主観に行き着くのだろうが、それ以前の全くの導入部分に、つまり素人のために、芸術はもう少し「何事か」の説明があってもいいのではないかと思うのである。

さて、2時間にわたる「枯葉」攻撃のあと、マスターは次のルールを教えてくれた。マス「4人のコンボじゃ。ええか? 演奏が始まったら最初は4人でメロディがちょっとわかるように1フレーズやる。ここは“わてら、今からこの曲をやりまっせ”いう挨拶じゃ。次にバンマスの例えばサックスが“わては今日、この曲をこういう感じでやってみまっせ”いうてソロでやる。ほんでピアノに“ほれ”いうて渡す。ほしたら
ピアノは“あんたがそう来るならわてはこういきまっせ”ちゅよなもんやな。ほんでソロが一人ずつ終わったら、最後に4人でもっかい1フレーズ、“今日はわてら、こんな感じでやってみました”いう挨拶で終わりじゃ」

これだけで、もう私はモダンジャズがむちゃくちゃおもしろくなったのである。
                               (アーツカウンシル高松理事)
(田尾和俊)

独裁者の功績 田尾和俊(2003年1月1日)

最初に「北朝鮮を称えるコラム」ではないことをお断りしておいて、と(笑)。ちょっと前にテレビでイタリアのアルベロベッロという世界遺産の街が出ていて、そこが「石の町」だと言うので見ていたわけです。こっちには庵治や牟礼があるんで。そしたら、石を積んで作ったとんがり帽子みたいな屋根の家が膨大な数並んでいて、ナレーションにあった通り、一面“おとぎの国”みたいな街が出てきた。同じ「石の町」のキャッチフレーズでありながら、庵治や牟礼と比べてインパクトが桁違いなんである(筆者注・文章にですます調とである調が混在しているのは、わざとです)。で、その後、何でこんな家並みができたのかという説明があって、何か王様か誰かが「こういう家にしなさい」と言ったからこうなった、と。

やっぱりそういうことなのか。

すなわち、私だけが今ごろ気がついたのかもしれないが、今、世界中にある歴史的にも文化的にも素晴らしいと評価される町並みや建物や、あるいは美術品や、それらのほとんどが、かつての独裁者か何らかの支配者かとんでもないお金持ちなどの号令や支持、支援によって作られたものなのである。

翻って現代、日本には独裁者も圧倒的な支配者もとんでもない金持ちもいない。是非は別として、これが国や町や県単位のインパクトのある文化が育たない一つの要因ではないかと、私は思っている。国民の意見、県民の意見、地域住民の意見を最上とする中途半端な民主主義のおかげで、ちまちまとした地域文化しか育たないのではないかと。今、庵治や牟礼で町長が「これから建てる家は全部石のとんがり屋根にしたいのですが、いかがですか?」と言うと、「やだ、そんなの」と言う人がいっぱい出てきてボツになるでしょう。では、独裁者、支配者のいない現代に圧倒的な文化を築き上げるには一体どうすればいいのでしょう?

今、あえて支配者を挙げるとすればそれは住民ということになるのかもしれないが、利己主義ここに極まる現代の住民が総意で幾ばくかの犠牲を払って文化を支援する、などということは望むべくもない。では議会の過半数?

ああー、まどろっこしいなあ。例えば香川の芸術文化を圧倒的に活性化するなら、「香川のすべての自治体、企業、施設、家庭は必ず香川県在住の作家の絵、または彫刻、または工芸品を最低一つは買って展示すること」とかいう条例がまかり通ったら、地域は地元作家をイヤでも意識するようになるし、作家は張りが出るし収入も得られるし、そのうち全国から「作家活動をするなら香川に移住して…」とかなるかもしれないし…。後藤さんの人形も大島さんの彫刻も1万個ぐらい売れるかもしれないし(笑)。だめかなあ。アーツカウンシル高松のメンバーからでも運動始めません?
(田尾和俊)

「100点」はつまんない! 田尾和俊(2002年9月20日)

●友人Sの弟は、国語のテストで「くさっても(鯛)」の中に(食べる)と書いた。

●小学校の時、国語のテストで「あのイタズラネコにはアパートの住人も皆(手)を焼いている。」と答えるところを、(魚)と書いて×をもらったことがある。

●友人Tが、国語のテストの「焼け石に( )」の中に「芋」いうて書いて×もらっとった。

10年くらい前、タウン情報誌で私が担当しているお笑い投稿コーナーにこんな投稿がいっぱい来てた時期がある。答がわからずに苦し紛れに書いたと思われるものもあれば、ウケを狙った確信犯に違いないと思うようなものもある。いずれにしろ、この手のネタを一つ載せたら翌月から次々に爆笑ネタが集まり始めたということは、投稿者がみんなすごくおもしろがっていたのである。では、なぜおもしろがったか?

私らはええ加減だから「ネタがおもろいからや」ぐらいしか考えなかったのであるが、理屈好きなスタッフがこんなことを言ったのを覚えている。

「みんな、用意された一つの答に向かっていくのはおもしろくないんですよ」

彼が言うには、「正解は“腐っても鯛”です。みんなちゃんと覚えてこの答が書けるようになりなさい。そうすれば100点です」という教育ばかりの中で、みんな息が詰まっている。そこへ「変なのもアリですよ」と投げかけてやると、堰を切ったようにみんな自由に遊び出して、そんな中から爆笑ネタが出てきたのだ、とのことである。

なるほどなあ。もちろん「腐っても鯛」をきちんと覚えることも重要なのであるが、そこで「100点」で終わってしまうと、センセーショナルな「何か」はまず生まれないのだ。

「芸術文化に“100点”はあるのか?」と問えば、たいていの人は「100点なんてない」と答えると思う。でも、芸術文化の現場をよく観察してみると、結構いろんなところで先生が「100点」を決めていたりしてはいないか…。無意識のうちに、自分の価値観に合うものを100点としてはいないか…。基礎の習得と大きな方向性の提示は必要だが、私は、先生は70点ぐらいまでを担当してあとは堰を切ってやる方が、「何か」が生まれるような気がする(30点や40点で堰を切ったら、生まれるのは“混沌”ばかりになりそうなので)。「芸術文化に関わるACTはこうあるべきだ」という理念、目標はきちんと掲げなくてはいけないけれど、掲げるのは70点まで。そうするときっとその先に、100点を突き抜けそうな「何か」が出てくると思う。で、出てきた時、それに乗っかっていけばいいじゃないかと。
(田尾和俊)

SNSのログインフォーム
SNS

記事一覧

RSS 2.0 ATOM 0.3
>> RSS、ATOMとは??

ACTスケジュール
入会はこちら
Google

WWW を検索
このサイト内を検索

お問い合わせ先

NPO法人
アーツカウンシル高松

高松市大工町8-1
E-mail:wesayact.t@gmail.com
HP:http://www.act.or.jp/
Copyright©ACT All right reserved.